世間では次元上昇とかアセンションとか何とか言われていますけど、スローモーションのヴィパッサナー状態で観察したところによりますと、次元が3次元から4次元や5次元に上がるのではなくて2次元になって1次元になって次元が消滅する、と言う方が実態に近いような気が致します。表現の違いかもしれませんけど。
次元が3次元から4次元になると言うのはこの「奥行き」のある空間がそのまま保持されてそれに時間が加わって、更に5次元になるとパラレルワールドとか何とか表現されたり6次元になるとどうなのかよくわかりませんけど、どちらにせよ、それらの次元が増えるにしても3次元という奥行きのある遠近感のあるワールドは保持されているということなのかなと思います。
そういうことであれば、私の感覚はそれとは逆で、今生きている場所が4次元で奥行きも時間も感じられる世界だとすれば、時間というものはパラレルに存在しているとも言えるし全ての時間が同時に存在しているとも言えるし、まやかしみたいなものですので時間がまず消え去ります。
遠近感に関してはヴィパッサナー状態で消え去り、2次元になります。
2次元のヴィパッサナー状態を続けていると意識が広がって空間の距離感もよく分からなくなり、それは1次元とも0次元とも言えるような、全体が同時に満遍なく存在していて、それでいて、位置を特定しようとしてもよく分からなくて、ここかもしれないけれどもその「ここ」とはあっちの「あそこ」と同じであるような同じでないような、距離感のない不思議な感覚になります。それが1次元です。それを比喩して0次元と言えるかもしれませんけど、まあ、とりあえずは1次元としておきます。
そんな感じで次元が減少してゆき、世界が1次元の点とも言えるし面とも言えるし時空とも言えるよく分からないところに収束というか広がりというかよく分からない状態になって全体が満遍なく存在していることを実感するわけです。
であれば、世間でよく言われている次元上昇とかそんなのは、見方によってはあるのかもしれないですけど、あるとしても今の世の中の延長線上のまやかしで、そういう次元上昇があるような気がするだけで、実際の世の中は次元数が1(あるいはゼロ)という世界が本当なのかなあ、という気が致します。
まあ、こんなこと言っても大して理解されないと思いますけど。
世間一般では次元上昇だとかアセンションだとか盛り上がったりしていますけど、個人的に確かにレムリア時代の記憶を呼び起こしますとみんなと一緒にあれれと言う間にアセンションしたことが確かに過去にあったような気がしますけど、それでも、やはり本当の真実はこの1次元(あるいはゼロ次元)というところなのかなあ、と言う気が致します。