単なる意識体です。大抵の場合は幽体です。生きている人間とそう変わりません。「神様から言われた」とか言って特別視する必要は基本的にはありません。
現実と一緒で素晴らしい人や神々しいオーラの意識体に言われたら感動したり感銘を受けたりしますので、そのように人と霊を同格に置くのはいいですけど見えない存在だからと言って神様扱いを毎回する必要はないわけです。
守護霊の中にはそれなりに修行している人がいて、修験道であるとかお坊さんなどで長らく修行して守護霊をしていると人間からすればまるで神であるかのように素晴らしい教えを説いたり神々しいオーラを放ったりしていますが、それを神と呼ぶかどうかは人それぞれです。
物事は全て程度問題でありますから、特に日本ですと神格化された人物を神様として拝んだりしますので、そのような場合も神とみなすことは個人の自由です。好きにすればいいと思います。
ただ、それを持ってして他人に「神様がこう言っている」と主張してくる人がたまにいて、そういう人の発言には「聞く人は謝意すべきだ」という含意が含まれていて、確かに正しい主張も混じっているので話半分に聞いていればそれは十分なのですが、いわゆるゴッドとしての一神教的な神様としての主張として守護霊の意図を伝えている人もいらっしゃいますので、そういう一神教的な部分はどうなのかなあ、とも思ってしまいます。
神様であっても単なる意識体の1つだ、という基本が分かっていないといわゆる一神教のようになってしまうのかもしれませんね。
精神的に高度に発達した意識体の発している意思あるいは意見だ、ということが分かってしまえば人間と接するのと実はそうは変わらないのに、神様に言われたからと言ってそれを100%信じなくてはならないとか100%従わなければならないとか思っている人が多すぎます。
神様という言葉を特別視しすぎているんですよねえ。見えない存在はピンキリで、神々しい存在もいればキツネやタヌキもいて人を化かしたりしますしね。見えない存在をことごとく神様だと思う必要はないですし、いかに素晴らしい意見で神のように見えたとしてもそれは一つの意識体ですから、人と人とが接するように意識体と接すればいいのです。
ですから、基本は人と接することであれば拝めたり全て言いなりに従ったりする必要はなくて、あくまでも聞き手側の自由意志で全てを選択していけばいいわけです。
まあ、そうは言いましても、実際に神々しい存在に対峙したらなかなかそうはうまくはいかないですけどね。それはもう、しょうがないです。人生経験と同じだと思います。