なんていうと世間では風当たりが強いようですけど、平等なのは社会のシステムのことであって、人は不平等なのが当たり前です。
まず親が違いますし兄弟も違いますし親戚、生まれた場所、周囲の環境、時代、全然違うのに平等だなんて思うから不平不満が生まれるのです。
競争社会にしてラットレースさせるために平等だなんて言い出したのでは? とも勘ぐってしまいます。
例えばアメリカ建国宣言の神の元の平等というのはキリスト教の信者が平等ということであって、それを真に受けて平等だなんて思わない方がいいです。それ自体は競争社会とは関係ないように見えても、実は影響しているなんてことはよくあります。
スピリチュアル的な観点で言いますと、人間は死んでも終わりませんから、死んだら友人知人のところにまず帰って、そこで一緒に楽しく暮らす場合もあればグループソウルと合一してから再度分霊になる場合もあります。であれば、その友人知人やグループソウル繋がりの人が助けてくれるのは当然ではないでしょうか。それを不平等とか言っていたら何にもできなくなってしまいます。
転生について色々言われていて、死んだら神様のところに戻って3つの人生から選べと言われるような場合もあるでしょうけど、私の場合は割と自分で人生を選んでいて、例えば、友人知人や元妻の霊たちが楽しく暮らしている時に一緒に転生しよう、ということになると一緒の街に生まれたり家族として生まれたりするわけです。
家族として生まれるとお互いにサポートするでしょうし、家が違っていてもそのような前世からの繋がりがあると妙に助けてくれたりもするでしょう。
仲の良かった人が転生する場合は一緒にあの世で生活している人たちの全員が転生するということはほとんどなくて一部の人が転生しますから、あの世に残った人は転生してきた人をサポートするわけです。それが、人生の節目ごとに不思議な導きという形で現れるわけです。
それを傍目から見ると恵まれているだとか不平等だとか言うかもしれませんけど、実際は単に仲の良かった人の人生が幸せになるように助けているだけです。
人生というのは一つの生で終わりませんから、来世も仲が続くような関係が理想だと思います。
他人を見て不平等だとか言う人については、本人が妬むと言うことであれば本人の問題ですから放っておくしかありませんね。関わりを持つべきではありません。
他人を妬んで他人を遠ざければ来世まで繋がるほどの人と人との繋がりは生まれませんが、他人を大切にすればそれは今世だけでなく来世にも生きてきます。
利益のために他人に親切にする人は友人も同様に利益のために他人に親切にすると言う人が近寄ってくるでしょうし、一方で、無私で奉仕する人の周囲には無私の人が集まってくるでしょう。それが基本です。
ただまあ、後者の場合は他人からただのカモだと思われるリスクがありますので現世ではなかなかやりにくいですけどね。