覚醒した意識を日常生活で保ち続ける

2021-02-17 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

程度問題ではあるのですが、瞑想を続けるうちに座った瞑想と日常生活の間の差がなくなっていきます。

座った瞑想をしてエネルギー的な経験あるいは意識的な経験をしてきたわけですけれども、瞑想を始めてからしばらくの間は、瞑想を終えた後にそれなりに日常生活でそれらが生かされて意識が保たれてはいたもののそこまで日常生活と融合しているという感じではありませんでした。

瞑想、あるいはヨガをして、終わった後はすっきりした状態になったりもしましたが数時間あるいはしばらく経つとやがて日常生活の状態に戻ってゆくわけですね。

これは月あるいは年単位での変化にはなるのですが、これらの状態の遷移が、次第に緩やかなものになってきたように思います。

特に最初は、瞑想やヨーガと日常生活の間のギャップが激しかったのですが、最近は割と一続きのものになってきています。

ただ単に意識が落ち着いている(シャマタ、止)ということだけではなく、いわゆる瞑想状態、ヴィパッサナーあるいはサマーディと呼ばれる状態(観察状態)ですらも日常生活に持ち込むことができます。

実際のところ、このような、日常生活におけるサマーディというのは修行の1つであって、常に覚醒した意識を保ち続ける、という修行方法になるわけです。

修行が進んで、三昧が、限られた時間だけなくずっと続くようになったら、「大いなる三昧」と呼ぶ。けれども、初心者の場合、三昧に入っている時と入っていない時の区別がある。「チベット密教の瞑想法(ナムカイ・ノルブ著)」

日常生活を送るにつれて次第にサマーディの状態から落ちてしまったりしますけど、その時は再度、覚醒した意識を取り戻すように意識し直すか、あるいは、日常生活でそのまま戻すのが難しいのであれば再度座って瞑想して覚醒状態に戻ってもいいわけです。

座っての瞑想というのは基本であって、しかしながら、日常生活と瞑想とを結びつけることが次の段階の修行になるわけです。