スピリチュアルでは、この現実は夢のようなものだ、とよく言われます。
それは、夢とこの現実の質が実は同一のものだということを悟る段階があるわけですけど、実際のところ、それを実感することは稀なわけです。
実感する一つの事例として、タイムラインの切り替えがあります。
タイムラインというのは、意識が存在している(意識がフォーカスしている)ところがタイムラインになって、夢というのは現在いる(現在フォーカスしている)ところから遠く離れたところに一時的に行っている状態に割と近くなっています。ただし夢の場合は物理的な実態がないことがほとんどですのでそこは違っています。夢でも別のタイムラインを覗く場合は物理的な実態があったりします。
タイムラインが切り替わると、元いたタイムラインは影のようになります。そして、移動した先のタイムラインからすると元いたタイムラインは夢のように認知されます。
タイムラインは波紋のようにとある一点から広がって作られてゆきますので、意識が時代の一点から広がった時は、まだ両方のタイムラインが存在しています。しかし、とあるタイムラインが優勢になった時は、もといたタイムラインは夢のように次第に薄い意識になって、人々の意識がもといたタイムラインから完全に離れた時にはかなり透明に近いものになって、完全に消えるということはなくても、ある種、凍結された状態になって時代及び時間経過もほぼ止まったものになります。意識が十分に届いていないので未来が認知されることはなく、時間がほとんど進まなくなるわけです。
そして忘れ去られてしまうとそのタイムラインはもう進行しなくなりますけどこれだけ人が大勢いますと記憶というのはそれなりに残りますので、タイムラインが次々に書き換えられる状況に加えて過去のタイムラインの記憶も残ることになります。
完全に忘れ去られる場合もありますし、一方で、心の片隅に宿題としてそのタイムラインが残る場合もあります。その場合は時代が凍結されたかのように残っているように自分には認知されて、タイムラインを切り替えたとしても宿題として残り、別のタイムラインで勉強した後に、再度、例えば数生を繰り返したりあるは同じ人生の別パターン(別の性ということもあり得る)を繰り返した後に宿題になっていた時と場所に戻ってやり直す、なんて場合もあります。
人の魂の成熟レベルにもよりますけど、学びのために転生を繰り返している人ならば現在のタイムラインを一時停止にして別の人生で学んでから人生の途中からやり直す、なんてこともあるわけです。
一方、完全にタイムラインを移動してしまって元のタイムラインは破棄する、ということも、もちろん多々あります。
詰まってしまってゲームオーバーに見えたとしても人生が継続している限りは何がしか解決策というものはあるもので、それを見出すために一時的に別のタイムラインで学ぶ、なんてこともあったりします。
はたまた、誰かに騙されたり変な結果になった時に少し時間を戻してやり直す、なんてこともあるわけです。
未来が見れない時はまだその未来が存在していなくて、物理的な面を伴って時間を経過させてみると未来が創造されていって、そうすると、その創造された記録をアストラルな状態で全ての時間軸に行き渡っている意識から把握できるようになりますので、時間軸でいうと少し前の時点の自分の意識が未来を見るかのようにして過去のその時点で未来を踏まえて判断する、なんてこともあります。
どうなるのかわからない時は実際に時間を進めてみると結果がわかるわけです。スピリットの方からすると意識で時間を進めてみると現実の時間が一つのタイムラインとして作られるわけです。その結果を見て、うまく行くようならばそのタイムラインを選択するわけです。選択した後は、映画やドラマを選ぶかのように、実際にそこに至る経過を詳しく意識で認識するわけです。未来を見てこれは良くないと思った場合は映画やドラマのタイトルやあらすじを見るだけで実際には視聴しない、という状況によく似ているわけです。
そのような時も含め、実際に自分がフォーカスしていないタイムラインというのは全て夢と同じように認知されて、実際、自分がいまいないタイムラインは夢のようなもので、誰も認知しなければそのうち消えてゆくわけです。