胸の奥底で祈る願いをしない

2021-10-23 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

願いをしてしまうと現実として現れてきますので、願いをしないように、と最近は注意をしています。願いは割と他愛のないことで、実現してみたのはいいものの厄介ごとを招き込んだり、そもそも不要なことだったり、ほとんどの場合、大したことではないわけです。

これは人によって印象が違っているとは思いますけど、もしかしたら多くの場合は願いが叶って何が悪いのだろうか、と思うのかもしれませんけど、悟りの道に対してはこのような願いとその実現は割と邪魔なことがほとんどなわけです。

願いの中で、悟りの道へと進む方向への願いであれば助けになるわけですけど、それ以外の願いをしたところで意識の成長としては割と妨げになってしまうわけです。

例えば、仕事でこれこれこういうことをしたい、と願ったとします。胸の奥、アナハタの願いであれば割とそれは実現します。ですけど、その実現というのは所詮は(と言ってしまうと何ですけど)この現実社会における一時的な泡みたいなものですので、だからと言って、元々の願いが叶ったということ以上の意味はさほどないわけです。

その願いが叶ったことによって認識が増えたり視点が増えたり願望が一つ消えるという効果があって、特に知識という点でいうと利益になるにはなりますけど、知ったからと言って実際のところ大したことがない知識のことがほとんどなわけです。

胸の奥底で祈って何かを願ってしまうと、それはカルマの実現になります。カルマの実現は時間がかかったりすることもありますけどいつかは実現できて、実現できたら、また新たなカルマを作り出します。

新たなカルマを作り出すときは胸の奥底でまた願うわけですけど、その現実の、いわば「引き寄せの法則」というものは、単にカルマを実現させているだけの、お遊びみたいなものなわけです。

確かに、実現はしますけど、だからと言って、大した意味があるかというと、ほとんどの場合、大した意味はないわけです。

ですから、このようなスピリチュアルな道に進んでいる人にしてみれば、心の奥底で浅はかな願いをしない、ということがまず重要になります。そして、願うならば吟味の上、引き寄せたい現実だけ引き寄せること。その時は目的が重要で、目的が正しくても手段としての現実の引き寄せが間違っていることもありますから、安易に決定せず、正しく決めてから願うことが必要なわけです。