感情面でのスピリチュアルと理性面のスピリチュアルとがあって、割と感情面のスピリチャルの方が人気があるように思います。
特に女性は感情面と結びつきやすくて、喜びのスピリチュアルになっているように思います。
一方、理性面のスピリチュアルがあって、それは静寂の境地と結びついています。
これは、古来からの西洋の視点に基づくスピリチュアルあるいはインドのヴェーダの文化あるいはヨーガなどと比べてみますと、順番としては肉体に近い方が感情面で、更に少し離れた方が理性面のスピリチュアルになります。
・肉体(粗大な体、ストゥーラ・シャリーラ)
・アストラル体(微細な体、スークシュマ・シャリーラ)感情面
・コーザル体(原因体、カーラナ・シャリーラ)理性面
・アートマン(あるいはプルシャ、あるいは神、創造神、あるいは全体)
ですので、これは割と「最初に」感情面、「次に」理性面、として理解されることが多いように思います。
ですけど、実際に世の中で活躍しているスピリチュアルな人々を見てみると、どうもそのような単純な順番ではないように思います。
私の見立てによりますと、感情面と理性面は「順番」ではなくて、むしろ「並列」に存在していて、人によっては感情面から入って、人によっては理性面から入る、というくらいの違いのように最近は思います。
肉体にしても疎かにしていいものではなくて、健康を保つためには適切な運動が必要ですから肉体や感情を捨てて理性に進むというよりは、それぞれにバランスが必要なのではないかと思います。
ですから、人によっては理性が先立って感情面が弱いかもしれませんし、感情が先立って理性が弱いかもしれません。
現代社会においては理性面が強調されがちですけど、理性と感情というのは相反するものでもなくて両立できますから、それぞれ、特徴はあれども、どちらも大切のように思います。当然と言えば当然ですけど。ですけど、スピリチュアルの人は割と感情面を重視したり理性面を重視したり、それぞれのように思います。本人はそのつもりはないのかもしれませんけど。
アートマンあるいは神の視点から見れば、最初の3つのもの、肉体・アストラル体・コーザル体のいずれも「アートマンではない」ものであり、この3つともいわば「物体」に属しているものであり、永遠ではないものなわけです。ですから、アートマンの視点からすればどれも大差なく、アートマンが理性を扱おうがアートマンが感情を扱おうがアートマンが肉体を扱おうが大差ないわけです。
ですけど、人はそこに区別をしたがりますけど、実際、アートマンあるいは神からしたら大差ないわけです。
ゴールはそれぞれ違っていて、
・(肉体であれば健康)
・アストラル体であれば感情的な歓喜
・コーザル体であれば静寂の境地及び(静寂の境地をベースにした)理知的な深い見地と洞察
というようになります。