何だろう、と思ってもすぐに「知りたい」と思わない

2021-12-25 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

子供心、探究心あるいは出来心で「何だろう」と思うことは多々あるとは思いますが、その時、何に対して「知りたい」と思うのかを選択的に意識的に行うことは重要で、闇雲に「知りたい」と思わないことが重要です。

この時、「知りたい」と思ってそれがある程度高まった時にカルマの歯が回り出し、現実化に向かいます。

何かを知りたいな、だとか、何かの職業に就きたいだとか、その種の願望はこの「選択」が最初のトリガーになります。

そのトリガーが発動する前の「何だろう」という段階でやめておけばカルマは動き出しません。

ですから、「何だろう」と思ったときに、それを知りたいかどうかをまず判断して、「知りたい」と思うかどうかを選択的に行うことが必要なわけです。そのためには意識的な人生にする必要があって、無意識が生活の大半を占めているような生き方ではその種の「知りたい」という選択すらも無意識でおこなってしまって、カルマの歯が回り続けることになります。

とは言いましても大抵の人の人生はそんなものですのでそこまで気にする必要はないのですけど、カルマの歯車から抜け出したいと思うのであればまず意識的になってこの種の「〜したい」という願望から逃れる必要があるのですけど、それは大雑把に言えば「願望」ということでありますけど、それは本来は願望というよりは「選択」なわけです。意識で「〜したい」という選択がまず行われてそして「願望」というより具体的な形へと変化するわけです。ですから、最初にまず「〜したい」という選択を行わなければ願望も表れてこなくて、カルマの歯車から逃れることができるわけです。



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