信仰心のあるなしと輪廻転生

2024-10-07公開 (2023-12-28 記)
トピック:スピリチュアル: 輪廻転生

転生の仕組みを理解して、ある程度の認識に到達すると否応なく信仰心が芽生えてきます。それは誰か「他者」に対する信仰心や依存心、操作されているという操作・非捜査の関係のことではなく、自分自身のハイヤーセルフ(真我)と一体になる、という意味における信仰心なわけです。それは文字通り自分自身ですから操作をされるとかされないとか信じるとか信じないとかいう概念を超えて、自分自身を信頼して自分自身の人生を生きる、ということなわけです。

実のところ、真我(アートマン、ハイヤーセルフ(に目覚める前であればエゴ(ヴェーダンタでいうところのジーヴァ、錯覚した自分、ヨーガでいうアハンカーラ)が前面に出ていて、このような説明をされるとジーヴァの意識が「そうか、自分は自由にしていいのか」みたいにジーヴァ(アハンカーラ、エゴ)が勘違いをしてしまうことがあります。そう言われたとして「エゴが自分勝手にして良いなんて、何かおかしいぞ」とエゴがまず気付くのが第一歩で、であれば、本当のところは何なのかを探し求める姿勢が必要なわけです。

実のところジーヴァは勘違いをしているだけでその上のハイヤーセルフ(真我)と同じといえばそうなのですけど顕在意識の上では分離があって、ジーヴァの勘違いをやめて真実を見出すとジーヴァ(エゴ)とハイヤーセルフが一体になります。

そして、信仰心とは、ハイヤーセルフの神々しさに対してするものなわけです。ハイヤーセルフとは創造・維持・破壊の意識が融合した高次元の意識ですから、それは神々しくも恐ろしくもあり、かつ、平和に満ちていて、(自分の近くの)空間に満たされていて、更には、創造的な活力に満ちたものなわけです。

スピリチュアルな団体において技術(スキル)や儀式、魔術、そして「効果」にフォーカスして信仰心を謳っていないところはまだこの領域に達していなくて、普通にスピリチュアルをやっていたとしても、ハイヤーセルフに近づけば必ず、このような創造・破壊・維持の意識に出会って、そうなると、必ず信仰心に目覚めます。

それは誰かを拝むということではなく、自分のハイヤーセルフの神々しさに振れることによる信仰心であり、そのくらいになりますと操作・被操作の関係の段階からはとっくに抜け出ていますので操作・非捜査の罠にハマることは基本的にはなく(完全にないとは言い切れませんが)、自分自身への、ハイヤーセルフへの信仰心に目覚めるのです。

これは、ジーヴァ(エゴ)の観点からのハイヤーセルフです。

この段階に達していない場合に信仰心を求めると、そこには往々にして依存関係が発生しがちです。ですから、信仰心とは自然発生的であるべきで、信仰心がなくてもそこまで問題がないのですりその代わりに、信頼、ベーダンタで言うところのシュラッダー、教えを信頼すること、特に聖典の教えを信頼すると言う姿勢は必要かと思います。それでも、自分で確かめたもの以外は、理解はすれども本当かどうかの判断は保留する、と言う科学の姿勢は必要かと思います。

それでも、信じていなくてもその段階になれば必ず信仰心に目覚めますから、信仰心を無理して持とうとする必要はなく、(修行や聖典の勉強などやるべきことをやりつつ)信仰心が目覚めるまで待てば良いわけです。