瞑想でアジナ・チャクラを想う

2019-09-27 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先日の瞑想中のザワザワ感に関する記事の続きです。最近の瞑想では、後頭部にエネルギーを通すことを意識してやっています。頭の力を抜いた状態で、眉間から後頭部にかけて広範囲を意識しています。エネルギーの通し方は以前 書いたように分割して上げています。

今日の瞑想で、いつものように下半身のエネルギーを意識で回転させてから上昇させると、ちょっと違った感じになりました。今日はエネルギー上昇と共に急にお腹がプクッと膨らんだ感じになり、(目は瞑想中は閉じているのですが)急に視界が明るくなり、エネルギーが頭に来たことで両耳のあたりがツーンとした感じになりました。両耳はトンネルや飛行機の中で気圧が変わった時の感覚に似ていますが、ツーンとする場所は両耳の付近だけです。両耳がツーンとした後、両耳の、特にまぶたのあたりがピリピリと帯電している感じになりました。そして、鼻の左側(頬の上、目の下)あたりがピリピリと帯電しました。その後、前頭葉から登頂にかけての部分が明るくなったような気がしました。その状態でしばらく瞑想を続けていると、今まで視界になかった筈の左上の部分に何かモヤモヤとしたイメージが出てきた気もするのですがまだよく見えません。いつものように度々、会陰のムーラダーラのあたりでピリピリとした感覚がありました。

視界が明るくなるのは度々起こってはいるのですが、今までは外の明るさの変化によるものなのか瞑想によるものなのか区別がつきにくい感じでした。しかし、今回はタイミング的に様々なことが同時に起こった感じでしたので、やはりこの視界の明るさは瞑想によるものだ、という理解に変わってきています。

お腹がプクっとした感じは、本山博先生の「密教ヨーガ」のアジナチャクラに関する説明の中でさらっと以下のように言及してあります。

(前略)・・・そして、スワディスタナのあたり、下腹部が鉄のように固くなります。「密教ヨーガ(本山博 著)」

鉄というよりはプクっとした感じですが、まあ、ニュアンスは似ているかなと思いますので何がしかアジナと関係があるのかもしれませんし、ないのかもしれません。その後、お腹だけでなく胸もちょっとプクっとした感じになりました。

見えている光は、どうもアジナ・チャクラのヤントラに似た形のような気がしてきました。これは、「密教ヨーガ(本山博 著)」によるとイダ・ピンガラ・スシュムナの3つのナディの合流点だと言います。


「密教ヨーガ(本山博 著)」より

又、スワミ・ヨーゲシヴァラナンダの解説によれば以下のようにあります。

アージュナー・チャクラ。瞑想中、この光は丸く視えたり、ランプの炎のように視えたりします。また時には、このアージュナー・チャクラの形が白く光る2つの花弁の形にも視えたりします。(中略)このアージュナー・チャクラがなぜ2枚の花弁によって描かれているかと申しますと、それは眉間で、スシュムナーを中心にしてイダーとピンガラーという3つの導管が1つに合流しているからです。(中略)そしてこれら3つの導管が合流している眉間の少し上、頭蓋骨の空間内にブラフマランドラがあります。ですから、行者がアージュナー・チャクラに上手に瞑想できるようになれば、続いてブラフマランドラ内のサハスラーラ・チャクラへと入ってゆくこともできるようになります。「魂の科学(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)」

私の場合、2つの花弁というよりもヤントラの形に似て、真ん中に大きな白い光、その左右にチョコンとそれぞれ光がくっついている感じです。とは言いましても、ぼやけていますのではっきりとした形があるわけではないのですが。

今日初めて、頭の上の方の光に気がついたと言いますか、恐らくは昔からあったのですが、今日初めてそれをちゃんと意識して認識できました。

もともとシルエットのように見えていたのですが、光がつくことで形が浮かび上がってきた感じです。今までも微妙に光っていたのですが外の光が目蓋を突き抜けて見えているだけなのかわからなかったのです。今日も確信とまではいきませんが、まあ、やっぱりこれはそうなんだなと思った次第です。いつも常時光っていると言えばそうなんですが明示的にエネルギーを上げてあげると光るんだな、と。そうは言いましても、ぼんやりと光っているくらいの感じですが。もっと明るくなるのかどうかはわかりません。この場合、スシュムナから供給されるエネルギーが重要なのかなと思います。であれば、スシュムナを浄化してエネルギーが通る状態にしておくのは非常に重要ですね。

左上に見えたぼんやりとしたイメージは、夢で見た私のグループソウルの前世の体験に基づくといわゆるアジナの霊視・リモートビューに相当するのだろうとは思いますが、まだ意味のある映像は見えていませんのでこれは仮説の段階で様子見中です。

どこかの本で、左上は過去で右上は未来とかいうお話もありましたが、どうなのでしょうかね。夢で見た私のグループソウルの過去生では何も使わずに「斜め上」を見ていたり、あるいは水晶球を使っていましたが水晶球の場合は水晶球の中に見えていましたね。

まあ、見えるときは太陽のように見えるって言いますから、それに比べたら全然な感じですけど。

そういえば、肉眼で光が見える場合と霊眼で見える場合とがある、ってどこかに書いてありましたね。単なる集中だけでも光が見えることがあるとか。ですから、やっぱりヨーガの基本で言われるように、瞑想中に見えたり聞こえたりしたことは重要ではないのであまり気にすることはない、というのはそうなのでしょうね。