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電波の悪い携帯電話の通話のように雑念が切られる境地

2020-09-15
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先日の続きです。シャルドルになって瞑想をしても雑念は上がってくるわけですが、それ以前と異なり、雑念がまるで電波の悪い携帯電話の通話のようにプツプツと途切れ途切れになってすぐ雑念が切れてしまいます。

昔はもちろん、雑念があったらあったで雑念の文脈一塊の分だけはとりあえず聞いた上でその先は囚われずに受け流すとか、そんな感じで一応は雑念が来たら受け止めていました。

しかし、ここシャルドルでは雑念が来たら途中で勝手に切れてしまい、雑念は一応は雑念ではあるのですが雑念が意味ある文脈を持ちにくくなったような気が致します。

何やら意味を持つ前に雑念が切れてしまい、何の雑念だったのかすらよくわからない状態です。

その切れ方がまるで、携帯電話で電波状況が悪くてプツプツと切れ始め、やがてプッツリと切れてしまう状況に似ているのです。

明示的な思考は意思を使わないとならず、雑念が勝手に思考のように振る舞うような動きはかなりなくなったように思います。

以前であれば、雑念は所詮は雑念ではある筈なのに何か考えついたかのような自動的な思考が生まれたり論理的であるかのような振る舞いを雑念がして見せたり、はたまた、性的欲求のシナリオだったり、あるいは、あたかも崇高な思考が出たりしました。

しかしながら、シャルドルですとそのような自動的な思考がプツプツと途切れてしまい、自動的に静寂の境地、いわゆる涅槃の状態に強く引き込まれるようなのです。

又、以前の、まだ意識が荒い時は雑念と指導霊のインスピレーションを見分けることができずに両方とも雑念として認識していたように思います。それも、次第に見分けることが容易にはなってきたのですが、このように雑念がプツプツと勝手に切れるようになると指導霊のインスピレーションと雑念との違いが明らかになったような気が致します。

雑念は必ずしも言葉ではなくて雑多な感覚であることもあります。雑念であれば波動が低く、インスピレーションというほどの高い波動の感覚とは異なり、単なる雑多な感覚あるいは言葉のようなものになります。そして、わかりやすいようにここでは言葉の場合で説明いたしますが、例えば早ければ1文字目、だいたい3文字から5文字目くらいまで雑念が来たところで携帯電話の電波が悪くなった時のようにプツプツと言葉が切れ始め、そのまま切れてしまいます。雑多な感覚であれば受け始めるとすぐに感覚が切れ始め、そのまま切れてしまう感じです。

この他に、記憶の奥底に眠っていたトラウマ的なものはこんなに簡単にはいきませんが、それでも、以前より遥かに早く切れてしまう感じが致します。

瞑想中はこんな感じでしたが、瞑想が終わった状態では必ずしもこんなすぐに雑念が途切れません。何が違うのかな・・・ と観察してみましたところ、おそらくは体の中に熱や深い宇宙を感じている境地になってエネルギーが高まっているとこのように雑念がプツリプツリと切れるのかな、という気も致します。必ずしも毎回このような感じになるわけではなく、体の中心に漆黒の宇宙と煌めく数多くの銀河の小宇宙を少なからず感じた時にこのようになる気が致します。

これは、パワーが上がればポジティブになって雑念が減るという基本的な法則に沿っている気が致します。

ただ、瞑想したからと言って必ずシャルドルになるわけでもなく、うまく行っている時はこうなる感じです。



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