夢を見ましたよ。
あるところに由緒正しきお寺とその一族がいました。
その夢は霊界のお話と現世との繋がりのお話ですので場面は霊界から始まります。
お寺の一族は霊としてもその一族が代々引き継いでおり、霊界の一族の大御所と言いますかお節介おばさんみたいな人(霊)が半分仕切っていました。
ある日、その一族のところにどこからか霊がやってきました。
どこから来たのかもわからない、どこぞの馬の骨ともしれないわからない霊ですけど、仕切っているお節介おばさんの霊に対して「勉強したいので一族の家族として転生させてください」と熱心にお願いしました。お節介おばさんは、これは一体どうしたものかと思い、この、どこぞの馬の骨ともしれ訳の分からない魂を家族にとして転生して面倒見るのはどうなのかと考えましたが勉強したいという熱心な願いを聞き入れる事にしました。
そうして勉強したいと言って転生した筈ですが、生まれてからはその願いを忘れたのか何なのか一向に仏教の勉強をせず、世間の俗物的な快楽に身を任せてお金儲けに励んでいるではありませんか。お節介おばさんはそれを見て「やれやれ。あの願いは何だったのかしら」と思っていました。それだけならまだしも、自分はほとんど修行していないのにも関わらず自分が一族の家族というだけで自分自身が何か偉いものだと勘違いし始めました。
身近な家族がそんな態度をたしなめる為に「我が一族の名を辱めることは避けるように」と忠告したところ、その本当の意味は「君のように修行していない人は語る資格はない」「君が生まれる前に立てた誓いを思い出して勉強しなさい」というところだったのに、こともあろうか、「自分はこの一族に生まれたのだから優秀で他の者より生まれながらにして優れている」、と勘違いをし始めます。「血筋によって優越が決まる血統主義」かのごとく思ってしまったわけです。
それを霊界から見ていたお節介おばさんは「この、どこぞの馬の骨とも知れぬ者が修行もせず勘違いをするようになってしまった」と嘆きました。お節介おばさんは、「やれやれ、この勘違い坊主をどうしたものか・・・ 」と思っていたところ、自分のところで修行するのではなく、もっと緩いヨガをさせるように計らうことにしたようです。
お節介おばさんは、それでとりあえず様子を見ることにしましたが、お節介おばさんは昔を思い出して、これは教訓だったのだと理解しました。この坊主が来た時、きっと受け入れるべきではなかった。本性を見抜くべきだった。表面的に礼儀正しくてもその裏で何を求めているのか、この坊主の一生を霊界から見ていたことで理解することができた。この坊主は自らの欲望を達成するために、体のよい看板(家柄)が欲しかっただけなのだ。
だが、幸いなことに、そのような不逞なやからでも我が一族の霊気にさらされることのよって次第に改心し、霊的な理解を少しずつではあるが獲得しつつある。全ての人間は霊的に目覚める素質がある、というのもお節介おばさんが学んだことのひとつだった。
今はまだ勘違いをして困ったちゃんの状態ですが、お節介おばさんは面倒見が良いのでそんな坊主でも優しく見守っているようです。でも、次の転生で一族の者として再度生きるのは今の状態では許可できないみたいですけど。であれば今生の幸運を生かして最大限に学ぶべきなのでしょうね。
おしまい。
これはたしか数年前に見た夢で、ふとメモを発見したので載せてみました。これは実在の人物のお話で、こんな夢のお話を本人に言うなんていう野暮なことはしていませんけど、時々、謎な人と会うことがあって、これはどういうことでしょう??? と思っていると瞑想ですとか夢ですとかでこうして答えをくれる時があるのです。
もちろん瞑想や夢ですから正解とは限りませんし、本人に言う必要のないことではありますが、上記のようなことであるとすれば態度や考え方など全てスッキリ説明がつきます。多様な人がいて、それぞれの人生で学びをしているのですね。
血筋や家族・親戚はとても助けになりますが、そうであっても、やはり本人のありようが一番重要と言うことなのだと思います。
その一方で、由緒正しき血筋に変な人を招いてはいけない、と言う教訓でもあるように思います。この場合、お節介おばさんの脇が甘かったのだ、と言うメッセージも含まれていました。そのおかげでお節介おばさんは人生を通じて苦労を背負うことになりましたが、このようなお話は割とこの世界に溢れているような気も致します。とは言いましても、お節介おばさんの方はエネルギーに満ちているようですので苦労を苦労とも思わずこなすことができますので特に問題ではないようです。
人生の中では色々な人と会いますけど、それぞれ違った人生観を持っています。興味を持てばこのように人生の背景に関する知識が私のところへやってきますけど、その知識を得たからといって、それが悟りの知識に結びつくわけではありませんから、最近は他人の人生に対する興味はあまりありません。ですので、これを見たからといって感想は「ふうん」と言うくらいですけど。人生は自由ですから、他人は好きに生きれば良いと思っています。