スローモーションのヴィパッサナーが始まり、やがて視界のコマ送りの激しさは物珍しいものではなくなってゆきました。その後、コマが細かく見えるという感覚は減って、視界がスローモーションではなくなってきました。
視界が元に戻りつつありますが、以前よりははっきりと見ています。しかしながら、どこかぼやけた感じです。
一方で、全身の感覚が微細になり、ヴィパッサナーという感じになってきました。
この全身の感覚はおそらくスローモーションのヴィパッサナーが始まった頃から既に存在していたものですが、目の感覚が面白かったが故に私が目のスローモーションに着目していたのだと思います。
意識的に目を強く使っていたということで、目への興味が減って行ったことによりそれほど視界にエネルギーが行かなくなったのかなと思います。
それと同時に、目に対しても形状が表面化すれば現実が潜在する、と言う昔からの教えが適用されるのかなと思います。初めは現実が表面化していて現実がスローモーションに見えていたのですが、その後、視界の形状・表面的な印象が小さくなっていって、「捉え所のないもの」(本質)が表面化してきているが故に視界がぼやけて見えるようになったのかなと思います。
最初はこの視界の明確さのなくなりは衰退なのかなとも思ったのですが、昔ながらの教えに従うならばこれは衰退ではなく成長なのだと思います。
そのように目の感覚がぼやけてきた一方で、全身の感覚が出てきました。
この感覚は皮膚の感覚とはちょっと別にあって、その感覚はというと、全身をコントロールしている微細体が確実に存在しているという実感に繋がるものです。
今までは微細体を熱感やら皮膚の感覚やらエネルギーの高まりとして感じていたわけですが、それが、微細体としての感覚が表れてきた、とでも言いますでしょうか。
私の体を動かす時に、体を動かすというよりは微細体を動かすと体も動く、という感じが少しずつ出てきています。
この感覚でわかったことは、おそらくはこれが普通のことであり、基本は微細体と肉体がロックされていて外れないようになっており、幽体離脱とかはかなりイレギュラーなことなのかなと思いました。
ここ数ヶ月は色々と試しましたが、一番効果があるのは何段階かに分けて意識の平穏をもたらす瞑想ですね。これが、この感覚へと繋がっている気が致します。