ワンネスは色々ありますけど、基本的なワンネスはハートのアナハタ・チャクラの活性化によるワンネスの繋がりです。
ですけど、その後、誤解されたワンネスが出てきて、ワンネスという言葉が良くわからないことになっています。
基本的なワンネスは胸の奥底で繋がっている根源意識のことで、言い換えればアートマンとか悟りとか色々と言い方はありますけど、全ての存在が繋がっているという意識のことです。
そのことを誰かが体験して、そこまでは良かったのですが、その体験を表現した時にワンネスという言葉を使って、それを聞いた人がワンネスという言葉を違って解釈したように思います。
元々のワンネスは根源意識ですから、姿形のことは言っていなくて、どんなものであっても、特に人間に関しては繋がっていてどのような人であっても根源意識で繋がっている、というのがワンネスの考え方です。
元々のワンネスには姿形や文化や風習、ものの考え方は含まれていなくて、ワンネスは世界のあらゆる文化及び風習そして宗教をも超えてワンネスであるという意識、体験、実感のことを意味していたわけです。そこには体験があって、その体験を表現するためにワンネスという言葉を用いていたわけです。
体験と言ってもアナハタの意識は一時的なものではなく、アナハタの意識が出る前はワンネスがある意味それほど感じられていなかったという意味においては永遠のものではないですが、少なくともアナハタの意識が目覚めてきた後に関してはずっと永続的に感じ続けられるものになります。
ですから、これは考え方次第ですが、元々永遠にそれはあったものの、単に隠れていただけだった、と考えることもできます。インドのヴェーダンタなどはアートマンに関してこのような考え方をしています。
そのように、ワンネスとは本来、永遠の意識、それをアートマンと呼ぶか魂と呼ぶか悟りと呼ぶかワンネスと呼ぶかはそれぞれですが、ハートの奥底の根源意識を表現するために用いられたもので、実際の人間のありようを説明したものではなかったのですね。
ですが、後でワンネスを知った人が解釈して、ものの考え方や文化、風習、儀式、宗教など各種を同一にすることがワンネスだという誤った考え方を持ち込んだわけです。まあ、その人なりの考えという意味においては何であれ間違っているということはないのですが、自分で考えたのではなく他人の考えを間違って解釈したのであればそれは間違いであると言えます。
そのように、ワンネスを誤解してこの世に広めてしまった人が少なからずいるのですよね。割とこれは微妙な問題で、みな同じようなことをしなければ悪いかのような同調圧力にもなってきますし、本来のワンネスとは異なり、この間違ったワンネスは束縛として機能しているように思います。
この間違ったワンネスはスピリチュアルの一時代においてマウンティングとして用いられたことがあり、今も多少はそのような風潮があって、風習や文化及びものの考え方に関して他人に指摘してマウンティングするために間違ったワンネスの束縛を用いることがあるわけです。なんという喜劇でしょうか。同じような同調圧力がマウンティングとして使われてそれがスピリチュアルであると誤解している人はスピリチュアルを他人を操作する手段として用いているわけで、それはスピリチュアルに対する冒涜であるわけです。
例えば、何かをするときにこうするのが当然、とか、ものの考え方はこうするのが当然、というマウンティングのためにワンネスの同調圧力が用いられたりします。
この辺りのことを理解していない人はワンネスの同調圧力が正しいと思ってしまいがちですけど、実際には、ワンネスとはそういうことではないのですよね。