場をパワースポットに育てる

2020-03-29 記
トピックスピリチュアル

最近はパワースポット巡りが流行っているわけですけれども、それは精神的なものへの入り口として機能してはいますが、その先に、場を育てるというステージがあるわけです。

パワースポット巡りというのは消費の文化で、場所に溜まっているエネルギーを分けていただくということです。そこに竜神や神様が座っていらっしゃって、そのエネルギーを感じたり場所の清浄な空気を感じにいくことです。

パワースポット巡りは古くからは巡礼であり、祈りの気持ちを込めて行うものですが、最近は観光やスポーツ的になっているような気も致します。観光やスポーツで巡礼をする人が増えるほど神様や竜神が機嫌を損ね、そこに神様や竜神がいなくなってしまうとパワースポットではなくなってしまいます。

最初の最初は観光やスポーツ的でも構わない、と神様はおっしゃいます。しかし、来る人の割合が問題とのことです。少しの人が観光やスポーツ的で巡礼をしたところで、大多数が祈りの気持ちを持っていれば問題ない、ということです。そのくらい、神様は大目に見て下さいます。そのくらいの細かなことは神様は気にしません。ただ、割合が重要です。あまりにも観光やスポーツ的な人が増えると神様は不機嫌になります。不機嫌が過ぎると、そこから離れてしまいます。

そもそも、最初に神様や竜神様はいらっしゃらなくて、最初は祈りだけがありました。

その祈りが場を清浄にし、その範囲が広がることで神様や竜神様がいらっしゃることのできる土台が出来上がりました。そうして出来上がった場に、神様や竜神様が降りてきていただけたわけです。

その土台である祈りをないがしろにしてパワースポット巡りと称してエネルギーを奪うような気持ち・・・ 本人はそうは思ってらっしゃらないかもしれませんが、祈りなくしてご利益だけを求めるような気持ちで参拝する人が増えれば増えるほど場は乱れてゆきます。そうするうちに清浄な空気はなくなり、神様や竜神様は何処かへ行ってしまわれるのです。

このようなことはどうやら日本の各地で起こっているようで、登山禁止の巡礼の山にスポーツの登山で登る人が増えたことにより神様が怒って何処かへ行ってしまわれた、というような噂も耳にします。きっと本当のことなのでしょう。

逆に、自分の家やなんてことのない神社や仏閣であっても祈りの気持ちを込めて場を清浄にすれば神様は降りてきていただけるのです。

それは建物の素晴らしさとはあまり関係がなく、清潔さというものは必要ですが、基本的には場の雰囲気、清浄な空気というものが神様が降りてきてくださる前提条件になります。

自分の家であるとか、精神的な鍛錬の会場は祈りを込めた人々が清浄にするにつれてどんどんとエネルギーが高まってゆきます。そうして神様が降りてきて頂けるようになるわけです。場を育てて、エネルギースポットに変えるわけです。

古来からの有名なパワースポットは現代のパワースポット巡りで想念の「ゴミ捨て場」になっているところが多くあります。そこで祈りを込める人が少なくなったからです。一方で、ゴミを捨てる人より祈る人の方が多い場所、それはエネルギースポットに変わってゆきます。

基本は自宅で、自宅がパワースポットになり、精神的な鍛錬な会場もパワースポットになります。

それが基本で、パワースポットのエネルギーの高さを求めて彷徨うことは、上記のように現代はパワースポットが想念のゴミ捨て場になっているがためにあまりお勧めできない、と私の内なるガイドは示唆します。それでも、道を求めてパワースポットを巡ることは有益なのではないかと私は思ったりもするのですが、そこは、好きにすればいい、というのが内なるガイドの指示です。あまりパワースポットに行き過ぎずに、たまに導かれてゆくのは良いということなのかな、と理解しております。



聖なる器としての体(次の記事)