仏師として空海と共に唐から渡来した記憶

2020-12-30 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

・・・夢で見たお話ですので本当かどうかはわかりません。

当時、たしか唐の都で仏師として仏像を作っていたように思います。そして、日本から来た役人に招聘されて空海と共に、空海と同じ船で海を渡ったように思います。招致されたくらいですから、確か、唐でもそれなりに名の知られた仏師だったように記憶しております。

空海とは唐の都で会ったことはなく船で初めて一緒になりました。空海は秘伝を受けた青年とのことでしたけど、一見するとそこらにいる青年とそう変わりはないように見えました。船の上では時間がありましたし、そう多くの人が乗っているわけではありませんでしたのでことあるごとに話をして、どのような奥義を受けたのか聞いてみたりもしました。具体的にはちょっとすぐには思い出せないのですが、「空」に関する心境を色々と説明してくれたような気が致します。空即是色などに関する境地だったような気も致します。それに対して私は仏師としての境地に関して共感する点を感想として述べたりもしました。そうすると、空海はお世辞なのか何なのか「うむ。よく分かっておいででいらっしゃる。」と言ってくれたりもしましたっけ。

空海はしきりに「私にはやらねばならぬことがある」というような事も言っていた気が致します。日本に来てからその後空海と会うことはなかったような気が致します。割と近くにいたことはあった気がしますけど、特に会う用事もなかったと思いますし。船の上でだけ一緒でしたけど、なかなか興味深い人物でした。

私は渡来後、奈良のあたりに移って日本の人々に仏像の作り方を教え、自らも仏像を作ったりしたものでした。最初こそ仏像作りに慣れない日本の人々でしたがしばらくするとそれなりに熟練し、独り立ちしていったような気が致します。

私は日本の政府に雇われて来た身ですので一生涯の賃金を保証されていて、とは言いましてもそんな豪華な家ではなくて、普通の家に住んでいたように思います。特に衣食住に不都合があったわけではありません。その時は1人で渡来してきて、その後も、渡来人でしたし、特に結婚とかいうことはなく、1人で過ごしたように思います。

後年になって政府が変わって一時的に賃金の支給が途切れたことがありましたけど、新しい政府に言ったらきちんと再度支給してもらえましたね。まあ、私の存在自体がイレギュラーだったのでしょう。

晩年になって引退して、その賃金を年金のようにしていて最後は生涯を終えた気が致します。今から思えばもうちょっと続けても良かったかな。引退すると意外に暇した気も致しますし。一生現役でも良かったかもしれません。晩年は何していましたかね... 瞑想とかだったかもしれません。外から見ると役人は「あの渡来人は何をしているのだろう?」と思っていたみたいですけど。仏像を作っている時は良かったですけど、引退したら急に何かをロスした感じになっていました。それなりに体力も使いますけど特に引退の制限があることでもないですし、生涯現役が一番いいのかも。

ちょっと簡単に史実を調べてみたことがあるのですが、空海と共に渡来した仏師なんてマイナーな存在らしく、最近の書物を見てもよく分かりませんでした。昔の記録の原本には乗っているのかもしれませんが読めないですし、まあ、仕方がありません。空海が渡来したのは平安時代が始まってすぐで、それから国としての政府は変わってはいないので、単にその地方の行政の取り扱いが変わったということなのかもしれませんし、平安時代の始まりの頃に行政区分の見直しが行われたのかもしれません。



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