ここ最近、瞑想をしている時に頭頂付近に風船の膨らみのような感覚がすることが多くなりました。
背骨から伸びた先の、後頭部の方から頭頂に向かって表皮に沿って長い風船が少しずつ膨らんできている感じです。
風船ですと一気に全部膨らんでしまいますが、これは、風船というよりも水道のホースあるいは消防のグルグル巻になっている太いホースの方が近いかも知れません。端の方から少しずつ膨らむ感じです。
場所としては、頭頂より少し後ろあたりにしばらく感覚があって、瞑想をする度にそのあたりで少しずつ風船が膨らむ感じが度々しておりました。図で言いますと橙色で最初感覚があって、膨らみきった後は黄色のところまでエネルギーが満ちた感じになりました。
同様の感覚は以前は喉のあたりだったり後頭部だったり、各所で同じような膨らむ感覚があったのですが、それらは全て、エネルギーがそこにそれほど通っていなくてエネルギーが通う時に感じる感覚だったように思います。
今までも頭頂に度々同様の感覚があったのですが最近ほど頻繁ではなく、最近は後頭部とかには何も同様の感覚がありませんので、後頭部および頭の下半分には既にエネルギーが満ちたのかなと思っております。
この状態で、瞑想を始めるとまだエネルギーが満ちていない頭頂のサハスララ周辺で似たように風船が膨らむ感じが最近はしておりました。
そして、今までは頭頂でただ単に風船が膨らむ感じだけだったのですが、ここに来て、頭頂の全てで風船が膨らみきって、それはエネルギーが頭頂にまで満ちたということだと思いますけど、そうなると、視界が少しうっすらと全体的に光って見える、ということと、意識は静寂の状態になります。
ここまで意識が満ちていなくても静寂の境地には入れておりましたが、この静寂の境地はそれはそれで味のあるもので、今までは意識がなくなる感じで静寂の境地に達しておりましたが、意識がそれほど変わることなく静寂の境地に入る、というのが違いのような気がいたします。
視界の光についても今まででも時々その光を感じておりましたが、不意に光を感じることが多く、しかも、それは時々見える、という種類のものでした。ここにきて、サハスララにまでエネルギーが満ちている時は安定して同様の光が見える気が致します。今までも、サハスララにエネルギーが通った時に一時的に光が見えていたのかもしれません。
もともとヨーガではサハスララは輝いていると言っていますので、それらの記述と一致します。
サハスララチャクラでは、光り輝いている。(中略)浅い精神集中の状態では、アストラル体を、現れたり消えたりする煙柱のように体験する。雑念が消え、深い精神状態の状態に入ると、アストラル体は黒色に見える。その黒色のアストラル体に、さらに精神集中を続けていると、それは光り輝くようになる。「密教ヨーガ(本山博著)」
まだ完全に光に満ちたという感じでもありませんがうっすらと全体的に光を感じます。
それは、最初の煙柱の状態でもやもやと見えていた光のような感覚とは違っていて、全体的に明るくなる感じですので最初は朝日を感じていたのかとも思ったのですが、どうもそうではなく光を瞑想中に感じていると判断する方が妥当に思えてきました。朝日を感じるのは以前からでしたからその感覚はありますけど、朝日にしては光の変化が速いと言いますか、見える感覚も違いますし、タイミングにしても頭頂にエネルギーが満ちて風船が膨らみきったか風船の感覚がなくなった時に光を同時に感じるので、瞑想中に見える光だと判断しました。少し前の漆黒を感じた時から進んで光り輝くようになったと言えると思います。
この種の光は、ヨーガの流派によっては「見えるものは重要ではない」とか言って切り捨ててしまう団体もありますけど、私が思うにはこのような「しるし」は自分がどのあたりにいるのかを判断する上で重要ですので捨てない方がいいと思います。とは言いましてもそれはその流派の好きにすればいいお話ですから私がどうこう言っているわけではなく、その人達が好きなようにすればいいわけで、これは単なる個人の感想です。