最近はヴィシュッダに頭のタマスを吸い込むという感じがなくなってきて、後頭部に集中していてもそれほど変化がなく、割と第二の涅槃とも言えるような意識付きの涅槃に準じた状態になっています。
この状態ですと、後頭部の集中よりも頭頂の付近に集中していた方が安定します。
頭頂はサハスララ・チャクラですけど、頭頂の、特に頭の皮膚の内側あたりに集中しているとオーラが少しずつ溜まってきて、少し貯まると上の方に抜けてゆきます。
今まではサハスララに集中してもさほどの変化がありませんでしたし、上に抜けるという感じもそれほどありませんでした。
最初に起こっていた静寂系の涅槃ではエネルギーが後頭部に集中していて下のヴィシュッダに抜けていたのですが、これはおそらく後頭部とヴィシュッダの間のエネルギー・ルート(ナディ)があまりよく通っていなかったのかなと思います。
今はそこのナディの通りが良くなっているので後頭部への集中はさほど必要ではなくなってきて、その状態では意識の伴った涅槃とも言える状態になって、更には、集中するなら後頭部よりは頭頂の方がしっくりくる、という感じになりました。
頭頂の方がしっくりくる、というのは、やってみたらそうだった、というお話で。なんとなく自然にそうなりました。理屈ではありません。体が一番わかっているのかもしれません。
そうすると、頭頂にエネルギーが集まって、やがて、ある程度貯まると頭頂から上に少しずつ抜けてゆくのです。これはきっと、サハスララの上が通り初めたのかなと思います。
感じ的にそこはまだきちんと通っていなくて、だから瞑想での集中が必要でエネルギーを貯めて少しずつ上に抜けるルートを開いてゆく必要があるのかなと思います。
(追記→ どうやら禅宗的にはこれは涅槃と言わなくておそらくは第四禅定です。流派によって涅槃の位置付けが異なるようですね。後日詳しく書きます。)
▪️ムーラダーラを意識しただけで登頂のサハスララまでエネルギーが通る
以前はそんなことはありませんでした。ヴィシュッダの詰まりが取れた状態になってからは、頭と下半身の間のエネルギーの通りが以前より良くなったように思います。
本山博先生の著書によれば「ムーラダーラとアジナは直結している」とのことです。
ムーラダーラとアジナは、イダ、ピンガラ、スシュムナの3ナディによって直結しているので、一方に生ずることは必ず他方にも生ずるという密接な関係にあります。「密教ヨーガ(本山博著)」
このことは知ってはいたのですが今までピンときていませんでした。しかしながら、ここに来て急にこの感じが強まってきました。
ムーラダーラを少し意識しただけで特にそうと意図せずとも頭のあたりにエネルギーが集まります。以前はこんなことはありませんでした。
瞑想でずっとムーラダーラに集中するとエネルギーが集まり過ぎてしまうので、少しムーラダーラに集中しては様子を見て、またムーラダーラに集中する、という感じです。今のところは。
そうして観察していると、どうやら私の場合、頭のアジナ付近までスシュムナが来ている感じはあるのですが、イダとピンガラはアジナの少し離れた近くまで来ているものの、少しだけ、感覚的には3cmかそのくらいだけ最後の最後が繋がっていない感じを受けます。
ムーラダーラに集中するとエネルギーが3つのナディを伝わって上がりますが、スシュムナはまっすぐ、イダとピンガラはスシュムナの周囲を何回か螺旋状に回転しながらアジナに繋がっていますが、イダとピンガラのその最後の部分が繋がっていない感じです。
イダとピンガラは同書によればアジナと繋がっているとありますけど、どうなのでしょうかね。最初からは繋がっていないものなのか、私がたまたまそうなのか、そこはよくわかりませんけど。
今後繋がるのか、あるいは、そのままなのか。それは様子見をしますけど、今はこんな感じです。
▪️ナーダ音に共振する瞑想
ここ最近はナーダ音は割と無視してきましたけど、ここに来て、ナーダ音に体を共振させるような瞑想をしてみました。
今までは体を固定してナーダ音は割と聞き流して、眉間あるいは後頭部に意識を固定・軽く集中することで静寂の意識へと導いてきました。
ここにきて後頭部よりも頭頂への集中の方が安定するようになってきましたので、そうすると、割とナーダ音の波動により近くなったような気がしました。ほんの少しではありますけど。
頭頂に意識を合わせると、特に何か考えたり読んだりしたわけではないのですが、自然にナーダ音に身を任せる、という感じになりました。
そうこうするうちにナーダ音に体を合わせて、ナーダ音に体を共振させるような感じになってきました。
ナーダ音は頭の中の左右から聞こえていて、それに共振させますので共振するのは頭の周辺が主で喉より下は共振という感じでもありませんけど、それだけでも何か奥深くに繋がるような、そうでないような、ちょっとした未来の予感のようなものを感じて、きっとこれは何かある、と感じました。
まだ何があるのかはわかりませんけど、ナーダ音に共振させることでナーダ音の奥底が見えてくるのかな、という気もしますけど。これでナーダ音に乗っかっている、「意味」のようなものが読み取れるといいのですけど、どうでしょうかね。
このあたりはこれから様子見をしていくところです。
▪️ムーラダーラに意識を少し当てるだけで静寂の意識に近づく
以前はそれなりに長い時間の瞑想をしてヴィシュッダにタマスを吸い込むということを何度かしてから静寂の意識に至ることができました。
今は、ムーラダーラを意識しただけで登頂のサハスララまでエネルギーが通るようになってきて、この状態ですとムーラダーラを意識しただけで体中のエネルギーが活性化され、そのエネルギーによって雑念のほとんどが崩壊し、静寂の意識に近付きます。
あぐらをかいて瞑想の姿勢を取った方がやりやすいですが、日常生活をしている間にふとムーラダーラに意識を合わせるだけでエネルギーが上昇して、それにより雑念が減り、うまくいけば静寂の意識にかなり近い状態にまで意識が変化します。
ムーラダーラはずっと長く意識を当てるというものではないようで、今後のことはわかりませんが少なくとも今はそうで、少し意識を当てるだけでも膨大なエネルギーが開放されて上昇し、体中をエネルギーで包み込むようです。
今まではムーラダーラは割とスルーしていましたし、何度か同様に意識を合わせるということも時々していましたけどこんな感じにはなりませんでした。こうなってきたのはごく最近のことです。
雑念がムーラダーラから上昇するエネルギーによって洗い流されるかのようです。
以前と下半身のエネルギーの質も変わっていますね。少し前は喉のヴィシュッダあたりを境目にして下半身は少し重ためのエネルギーで頭が清浄な意識でした。今は、そのエネルギーの質が均一化してきて、下半身は以前より清浄になり、頭のあたりに下半身のエネルギーが入ってきても不安定にならないほど全体的に浄化されてきたように思います。
頭だけを見ると以前の清浄なだけの状態よりも少しだけ下半身の重ためのエネルギーが混ざるようになってきて、以前のようにヴィシュッダで分断しているのではなく、グラデーションのように下半身から頭まで繋がっている感じも多少はあります。そのグラデーションの濃淡が以前はきついものでしたが今は淡いグラデーションになっていて、エネルギーの質として割と均一化されてきましたのでムーラダーラのエネルギーがアジナ近くまで上昇しても不安定にならず、多少のエネルギー酔いのようなものは若干ありますけど以前のように気分が悪くなるということはなく、そのエネルギーが雑念を洗い流して全体の意識としては静寂の意識の状態に近づくわけです。
おそらくは、最初に静寂の意識に達していた時はヴィシュッダでエネルギーが分断されていて頭だけが特に清浄な状態になることで意識の平穏がなされていたのでした。
今は、ヴィシュッダのあたりのブロックが取れてエネルギーが均一化されてきて、天からのエネルギーが下半身にまで浸透するようになって下半身のエネルギーの浄化もそれなりに進み、その状態になったことでムーラダーラからのエネルギーを頭まで上げても不安定にならずに静寂の意識に近い状態になることができるのだと思います。
頭だけを見れば以前のヴィシュッダで分断されていた頃の方がより静寂の意識と言うに相応しい平安な状態で、今は下半身のエネルギーと均一化されていてそこまでの完璧に純粋な静寂の意識というわけではないですがそれなりに静寂で、これはこれで問題ないと思っています。